昭和40年代生まれの昭和レトロ探索とバブル時代の回顧 昭和の銭湯

昭和40年代生まれが書く関西中心の昭和レトロ探索とバブル時代の懐かしい物を振り返る 昭和レトロな銭湯の訪問記

1970年代 流行 昭和の車

1970年代のF1は日本では衝撃のシーン扱い?1976年のF1 ラウダvsハント ラッシュ、プライドと友情 2014の映画

投稿日:2024年5月19日 更新日:

自分が自動車レースの最高峰F1を見始めたのは

1970年代当時少年サンデーで連載中だった

村上もとか先生の漫画 赤いペガサスを見てから

最初は同じ年の親戚が見ていてF1マシンは形がわからず

みんな同じように見えて興味は持てなかったが

だんだんおもしろくなってきて見だすようになった

この赤いペガサスという漫画は1977年のシーズンを描いて

主人公のケン・アカバや所属するチームや周りの人物以外は

F1レーサーなどほぼ実在の人物が登場する

1970年代当時の日本ではF1はあまり認知度がなく

最短1ヶ月で動画編集スキルが身につく!動画編集スクール【クリエイターズジャパン】 ・現役の動画クリエイターが教える動画編集スクール! ・万全なサポート体制!(個別LINE@サポート、オンラインサロン ) ・圧倒的なコンテンツ量で初心者目線で細かい所までを分かりやすく解説! ▼詳細はこちら
スポンサード リンク

AUTOSPORTという雑誌に1ヶ月以上遅れてレース結果が

掲載されるのみで

日本ではモータースポーツというよりどちらかというと

当時流行った日本では自粛されていたグロ映像を集めた映画

ジャンクやらアメリカンブルータスというような

事故、爆発、炎上が売り物の衝撃の映像っぽいのが売りだった

1980年代以降はF1も安全になり火もあまり出なくなったが

まあF1以外でも日本のモータースポーツはそんな扱いだった

1978年に日本で公開されたポールポジションという

F1中心のドキュメント映画でもテレビのコマーシャルで

事故シーンなどを写しおどろおどろしげに宣伝していた

この試写を見た当時トップドライバーのニキ・ラウダは

よく作ってくれたと思うが事故のシーンが多すぎると苦言した

自分が赤いペガサスを見るようになったのは

この当時F1の帝王と言われたニキ・ラウダに魅了されたから、

ラウダはその炎上事故がイメージされたF1で炎上事故に逢い

顔に大火傷を背負っている、まさに危険と背中合わせの職業の

F1ドライバーの象徴のような感じに見えた、

この出来事は1977年に放映されたのテレビアニメの

アローエンブレムグランプリの鷹の中でもニック・ラムダ

と名前を変えて紹介されてる

赤いペガサスの中ではあまり活躍しなかったが冷静、正確な

コンピューターのようなドライバーとして弱冠28歳ながら

F1の帝王として紹介されてる

すべてのお客様に希少価値の高いコーヒー豆を 世界中から買い付けておいしいコーヒーを届けることを ミッションに、厳選したスペシャルティコーヒー・ オリジナルグッズ・ギフト等を販売しています。 ブルーボトルコーヒー公式オンラインストア
スポンサード リンク

それからは当時は唯一、F1の情報が詳しく掲載されている

月2回の雑誌、AUTOSPORTの1976~1978年の

バックナンバーを買いあさり、1979年以降は新書を買ってた

特に1976年のこの映画にもなった

ラウダvsハントのチャンピオン争いはこのAUTOSPORTの

名勝負の文章でしか見れなかったがそれでも面白かった

(残念ながら当時は邪魔になったので

ほとんど処分してしまった😢)

1975年にフェラーリで初めてチャンピオンになったラウダは

翌年の1976年前半も中盤まで5勝しライバルのマクラーレンの

ハントに大きくポイントを引き離していたが第10戦のドイツGPの

当時は世界一の難コースと言われた雨のニュルブルクリンクで

大事故を起こしてしまい重傷を負った

2014年に公開された映画ラッシュ プライドと友情

酸化ストレスの軽減に!業界初の抜けない水素水!ミネラル還元水素水生成器

アクア・リアージュ 

img855-702x1000.jpg 長時間保存可能だからいつでもどこでも水素水 水素水は保存が難しく、時間が経つとただの「水」になってしまいます。 しかし、アクア・リアージュは、ナノサイズの小さな水素のバブルを作り出すので、 生成した「水素」を長時間保存することができるのです。

日本を含む世界10カ国で特許取得

詳細はミネラル還元水素水生成器 アクア・リアージュのページへ

 
スポンサード リンク

1976年シーズンのフォーミュラーワン世界タイトル争いの

実話を元にした映画だ

1976年の全16戦の世界のサーキットを舞台にする

F1ワールドタイトル争いはF1ドライバー

フェラーリチームのオーストリア人のニキラウダと

マクラーレンチームのイギリス人のジェームス・ハントの

2人の一騎打ちだった、前半はラウダがリードし中盤ラウダの

事故による負傷もあってハントが後半追い上げる

どちらの俳優もよく本人に似ている

F1を人生の全てと思ってデーターと冷静沈着なニキ・ラウダと

遊び人でF1を金や女をもたらす物としか思わないが天才的な

本能とカンを持つジェームス・ハントとの戦いだ、

野球でいう桑田、清原のような感じかな

お互いに挑発しあうが最後は実力を認め合う

だが自分は丁度この1976年のタイトル争いを文章ではあるが

読んで知っているがこの映画はこれを知らないと楽しめ無いと

思うのだがどうなんだろう?

自分が見たのは映画では無く後でDVDだったが😅

前年F1のトップチーム、フェラーリで26歳でチャンピオンになり

結婚もして幸せの絶頂期での27歳での事故だった

元々、名家で裕福な家で育ったニキ・ラウダは

子供頃から家の経営するトラックに無免許で運転し運転を覚えた

後はレースにのめり込んで行ったが家の反対にあいことごとく

妨害され父親から勘当され資金援助も切られたが、自らの名家の

名前を利用し詐欺まがいの事までやり金を作ったり最後は自らに

生命保険を掛け金を借りてレース活動をしついにF1へ

F1デビュー後は苦戦していたがBRM時代の同僚のクレイ・

レガツォーニの推薦によりフェラーリドライバーのシートを得た

昔読んだ、あくまで作者はフィクションだとしている

エンツォ・フェラーリの遺言という中で

当時不振だったフェラーリを見事に生き返らせた1975年の

チャンピオン、ラウダにフェラーリの総帥エンツォ・フェラーリは

ある試練を与えた、もしこのまま1976年にチャンピオンを

ジェームス・ハントに奪われるようだと来年の契約は無いと

思っていてくれと

これを聞いたラウダはひどく動揺し前述のドイツGPで

再起不能の大事故を起こしたと、

事故はかなり酷くラウダは病室で生死の境を彷徨った

腰に巻くだけ 身体のバランスを整えるクインシア体幹ベルト 最先端特許技術加工 光量子加工 ホルミシス効果  日本製  img838-159x300.jpg 中国特許、米国特許、日本特許、国際特許、米国著作権  サイズ 8cm×103cm 表地 ナイロン・ポリウレタン  中層 ポリウレタン 裏地(肌側) ナイロン 定価55000円(税込価格)

詳しくはクインシア体幹ベルト商品ページへ

 
スポンサード リンク

エンツオももうラウダの復帰はありえないだろうと新たに

カルロス・ロイテマンを今後エースとする方向へ

この事を知ったラウダはわずか40日後に火傷を負った

両眼ままならぬ顔で自分も3台目のフェラーリで出場すると

モンツア・サーキットに押しかけ

そして出場し見事4位に入賞、エンツォもこのラウダの行動には

真実のスポーツマンの勇気に満ちあふれた姿を全世界の人々に

示したと賞賛した、この奇跡のカムバックはニキ・ラウダを

不死鳥、不死身の男と呼ばれる事になった

だが最後のタイトル戦のかかった最終戦

雨の日本グランプリ、富士スピードウェイでわずか2周での

雨で危険と判断し早期棄権により世界タイトルを逃した事に対して

雨に怖気づいた臆病者のせいでタイトルを逃がしたと責めている、

自分もあれほどの事故をおってまでレースに戻って来たのに

本当になぜあのレースでラウダがわずか1周でリタイアを

決めたのかはわからないが昔読んだ雑誌のラウダの著書では

やはり雨で危険と判断したと書いてありすぐにエンツオに

これこれこういう理由でリタイアしたと説明したがエンツオは

あ~そう、あ~そうと言って電話を切ってしまった

これ以降自分はエンツオに自分の言い訳を話さなくなったとあった

そして両者の溝が深まっていき1977年を最後にラウダはフェラーリ

と絶縁する、その伏線はラウダ1977年の第15戦アメリカGP前

自分のチーフメカニックが整備もせずにぼんやりしている

どうしたんだ?と尋ねたところフェラーリチームから

「他のチームから誘いがあるという噂を聞いたが本当か?」

と尋ねられたので

「他チームから誘われているのは事実だが考えておくと答えておいた」

と言うと他のチームに移るのを考えているならばうちのチームを

出ていってからにしてくれといわれその場で解雇されたらしい、

なんと彼は故郷から何百キロも離れた地で突然失業してしまった

のである

このフェラーリにチームの仕打ちに動揺したが何とかこのレースで

4位に入り2度目のチャンピオンを決めた後は残り2戦を残していたが

それをボイコットしてついにフェラーリチームを去った

その後来期についてエンツオの話し合いに行ったラウダは

机の上には金額を打ち込むチェックライターが置かれていた

ラウダはそれが大嫌いだったようでエンツォから来年も

うちのチームで走れと言われ、金額は好きなだけOKだ

フェラーリのマシン無くしてお前はチャンピオンになれない

と言われたがラウダはそうは思ってなかったので

来季はブラバムで走ると言って帰って来た

エンツオはマシンを楽器に例え、私が最高の楽器を与えてこそ

ラウダは最高の演奏が出来、栄誉を掴み今後もそうだと言ったが

ラウダは自分が来る迄フェラーリは不振で自分がチームを再建し

自分の力でチャンピオンになったと思っている

プライドの高い両者はもう交わることはなかった・・・

そして1979年は劇中で活躍したラウダ、ハントは不振で両者とも

シーズンを待たず引退してしまう、

特にラウダは第14戦のカナダGP予選中に集団で周回するのを

馬鹿馬鹿しさをもってきたと言い残しヘルメットも

レーシングスーツも置き去りにしてサーキットを後にし

そのまま引退した、ブラバムチームは急遽新人ドライバーの

R・ズニーノを呼んで置き去りにされたスーツとヘルメットを

使用させ参戦した

後年ラウダはブラバムのアルファロメオV12エンジンの

不調が原因で成績不振となりやる気を無くしていたがチーム側は

来期に向けて新しい信頼性の高いフォードエンジンに積み替え

再起を図っていた、このマシンはネルソン・ピケをチャンピオン

にさせた程の優れたマシンだったが

ラウダにはこの時期葛藤があった、どんなに優れたマシンが

あってそれで3度目の世界タイトルを取った所で

それがどんな意味があるのか

もうラウダの心はモータースポーツから離れてしまい

そのまま引退をした

1979年、新人の26歳のネルソン・ピケは30歳のラウダより

速さを見せつけ老いたラウダを引退に追いやったと言われる、

まあ4つしか年の差は無いが

後年39歳になったピケも一回り以上年下の若きシューマッハに

同じ事をされ引退に追い込まれるが

この後自分もF1を1時離れたが

ジル・ヴィルヌーヴの活躍によってまた再燃したが

1982年にジルも事故死してしまったそしてまた離れた

そして1991年に友人からセナvsプロスト対決の

1988、1989年の総集編のビデオを見せてもらい

セナによってまた1991年からリアルでF1を見だした

でも1987年~1992年頃が日本でのF1人気最盛期かな?

2015年

 

中古家電の専門店♪リユース家電Happy 最大1年間保証で安心! 実店舗ありで実物を見てからでも購入可能! ▼詳細はこちら
スポンサード リンク

-1970年代 流行, 昭和の車

執筆者:中途半端な昭和人


コメントを残す

関連記事

長松自然海岸を歩いて誰も居ない泉南郡岬町の廃墟マンション?海の家 海岸の展望トイレ

休日にいい天気に家でじっとしてるのはもったいない 前行って良かった阪南市の長松海岸でも歩いて 岬町の廃墟群と大阪府に唯一残る自然海岸の長松海岸水際道路を犬と歩いてみた   さらにもう少し歩い …

1970年代の旧車の展示 愛知県 旧車イベント 名古屋ノスタルジックカーショー 2009 ポートメッセなごや 

2週間前の2009年6月6日に訪問させて頂いた神奈川県横浜の ヴィンテージスーパーカー専門店キャステルオートの 1970年代のスーパーカーブーム時代の生き証人、元横浜シーサイドモーター、現キャステルオ …

大阪市大正区の銭湯 いとうぴあ 流れ風呂 露天風呂とつぼ湯は閉鎖

そして大正区の銭湯 いとうぴあへ 大阪市大正区鶴町は大阪市の陸の孤島と呼ばれていて 駅からかなり遠くバスで行くしか無いので 大阪メトロ大正駅から大阪シティバスに乗って 大阪市の陸の孤島、大正区鶴町の銭 …

80年代、ゴジラと東京タワー、飛行船のオブジェが飾られた新小岩、中古車太郎 ゴジラはクレームで撤去に

70年代の高度経済成長期や80年代のバブル時代は 小さな店舗でも目立つために派手なディスプレイや 大きな巨大オブジェなどを飾ったりした 国道沿いに店舗の多かった中古車屋も当時は色々やってた 福井県太宰 …

廃墟のホテル太公望は再開工事 和歌山市 昭和な喫茶 カフェレストアモーレで和風モーニング 中華宝龍 

以前から泊まりたかった和歌山市和歌の浦、雑賀崎の 廃墟では無いかと噂されていた昭和レトロなホテル 七洋園に友人ら3人と泊まる事が出来 生きる廃墟 、ホテル七洋園で宿泊の朝 七洋園別館を探索  隣に建つ …

1998年8月10日生まれ
1999年3月29日にやってきた
2012年7月10日腎不全により没


2012年5月12日生まれ、2012年8月27日に家族の1員に、長距離旅には先代よりたくさん行った
2023年7月8日に心臓肥大による心臓破裂で1時心肺停止、その後奇跡の蘇生、元気に復活するも2023年9月9日肺水腫再発により没

 

メールアドレスを記入して購読すれば、更新をメールで受信できます。

83人の購読者に加わりましょう