1983年に大阪府吹田市の江坂に開業し大人気だったレストラン
江坂レストランカーニバルプラザ
といっても関西圏の人しかわからないと思うが
1983年に紡績工場跡地に作られ開業し
その当時は日本一大きいレストランと紹介していた
元々は大正7年から昭和50年代後半まで現役で操業していた紡績工場の
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その大正ロマンの香り漂う煉瓦造りの建物がそっくりそのまま大変身し
当時の内外壁や柱を残しアーリーアメリカンインテリアをまとい
広さ2.442平方メートルの
日本一広いレストランカーニバルプラザになった
江坂カーニバルプラザ開業の裏話は下記で
長身の外人ピエロや正装仮装した楽器演奏隊が生演奏しながら
絶えず店内を歩き回ったり
それまでには日本には無かった外国のレストランようなお祭り
カーニバル的な雰囲気で1980年代当時はかなり珍しかったし
それまで平屋の1棟建てとして日本一の広さを誇っていた
北海道札幌市のサッポロビール園を上回ったようだ
画像も懐かしい
バブル期は豪華なシャンデリア付きのバブリーな2階建て観光バスで
豪華な旅を企画して走り回っていた今は無きジパング 中央観光バス
かつては観光バスの団体ツアーもあったのか?
敷地内には江坂ゴルフセンター、江坂テニスセンター、
江坂ベースボールセンター、レストランカーニバルプラザ、
ホテルプラザ 中華料理 エスカミューズ
これらの総合施設を人、スポーツ、文化・・・出会いの広場として
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14万平方メートルのアメニティフィールドは
アメニティ江坂と呼ばれた
江坂ベースボールセンター併設の野球のグラウンドは90年代に
関西テレビの紳助の人間マンダラという番組で元阪神タイガースの
掛布雅之監督率いるマンダラ野球チームのロケでも使われた
レストラン自体の規模もかなり大きいがそれほど広大という程ではない
日本一大きいレストランというのは駐車場などの施設も入れた
全体的な敷地面積でだろう
1980年代当時の江坂カーニバルプラザのパンフレット
まずは帆船をかたどった風時計がウェルカムを告げてくれる
8,844平方メートルのアメリカンスケールは
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まさにカーニバルなレストランだった
カーニバルの太陽、踊り、仮面、人間をイメージしたシンボルマークは
太陽の塔のでデザインで知られる岡本太郎氏のデザイン
初期の頃は新聞もあったようで家から出てきた
蟹威張ル!自分の持ってるのは新聞創刊号
見開きの1枚ものだが自分のストックはこれのみ
これ以降もあったのかな?
カーニバルプラザの中の見えない木の入口扉を開け
を入るとアーリーアメリカン調の別世界
薄暗い大きな店内には真ん中に池があり橋がかかっていた
当時としてはあまり無かった物で珍しかった
その奥には海外のアメリカン雑貨ショップ
その場でかいてもらえる似顔絵コーナーに
薄暗い店内にマッチしたろうそくの灯りが灯る占いの館
まさに室内テーマパークだった
総席750席はまさにスタジアムレストラン
飲食ホールは3つのホールに別れ
蟹がメインのシーフードホール465席、
ダンジネスクラブなど世界の蟹と15種類の新鮮なサラダバー
バーベキューホールの肉も良かったが
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1980年代当時は蟹を思いっきり食べれる店はそう多くは無く
蟹と言えばこのカーニバルプラザだった、
蟹を食べたくなったら
創業昭和19年、通販業界10年以上、
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皆で蟹を食べると今でもカーニバルプラザ思い出す
そして肉メインのバーベキューホール265席、
柔らかなスプリングラム(子羊)と
工場直送ビールの大ホール
飲み物メインの港のラウンジ170席、
アメリカの漁師町にいるような雰囲気でお酒とオリジナルハンバーグ
世界のカニや当時はまだ珍しかった海外製のバラエティグッズが溢れる
おみやげマーケットの港の市場
まだ1980年代当時は珍しかった海外品など
アメリカン雑貨が売っていてこれも見てるだけでも面白かった
サンフランシスコのフィッシャーマンズ・ワーフの
面影をインポートしている
世界のお菓子やグッズも販売している
ここで売っていたブリオッシュというきのこのような形をしたパンも
500円と高価ながら美味しかったし小売りでは
ここしか見た事無かったのでよく買って帰った
80年代の人気レストラン、江坂カーニバルプラザで売ってた美味しいパン、ブリオッシュを20年振りに食 オリエンタルベーカリー
港のラウンジは横の池にラジコンの船が浮かべてあり
屋内の天井は雨や雷鳴、夕焼けなどの自然現象の音と光で
ランダムに演出されていた
港らしいランプなどの演出
夕焼けになった橋
大阪文化服装学院主催のファッションショーも行われた
少し薄暗くムードがあるので女子連れの時はここだった
親類などと行く時は蟹メインのシーフードホールだった
この港ラウンジにはステージもあり
1987年2月に当時人気の歌番組のTBSザ・ベストテンで
近藤真彦が「愚か者」を歌って生中継された事もあった
大阪市営地下鉄江坂駅前に
同じ時期の1983年、昭和58年にオープンした
関西では初めての江坂の東急ハンズ
と共に80~90年代半ばまでの
北大阪のデートコースには欠かせない場所だった
たいがいの女子は江坂カーニバルプラザに初めて連れていくと
驚き、喜んでくれた
さらに最盛期にはかなりの待ち時間があったが
それを忘れさせてくれるような敷地内の様々な
エンターテインメントや敷地外の施設
80年代に大人気だった江坂カーニバルプラザを盛り上げた外人ピエロと生楽器演奏隊、長い待ち時間も楽しく過ごせた年中クリスマスイルミネーションとマーケット
逆に待ち時間も楽しかった程だった
バブル時は大阪では梅田、東大阪などにも支店を出した
千葉にもバブル時代らしく900席という
超巨大なサーカスレストランとしてオープンしている
80年代、バブル時代に大阪で超人気のレストランだった江坂カーニバルプラザは関東にも巨大なサーカスレストランカーニバルプラザとして進出していた
他にも全国に何件かあったようだ、しかし
そんな80年代、バブル時代前後を盛り上げていってくれた新時代の
アミューズメントパークのようなエンターテインメントのような
江坂カーニバルプラザレストランも時の流れと共に
来場客も減っていき、
1990年代後半には土日でも空きが目立つ程になり
経費節減の為かいつのまにか外人ピエロや生楽器演奏隊も姿を消し
誕生日のハッピーバースデーはいつしか店員のコーラスになり
東大阪店や他店舗などが閉鎖となっていき
本店の江坂カーニバルプラザも
2008年に施設老朽化を理由に取り壊されたようで
25年の歴史にひっそりと幕を閉じた
自分も2000年以降はやや飽きが来て遠ざかっていたので
江坂カーニバルプラザが閉店し取り壊されてからこの事を知った
1980年代に京阪神で過ごしたカップルやファミリーの人達には
目を閉じれば今でも蜃気楼のようにあの最盛期の賑やかだった姿の
思い出が浮かぶだろう江坂カーニバルプラザ
あの頃は今の先行きの見えない世の中と違い
未来は明るいと信じて生きていたという若き時代に還り
そして今現在はどうなっているのか久々に跡地を訪ねてみた
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昔行ったカーニバルプラザがまだあるかな?とふと思い、調べた所こちらのページにたどり着きました。
今から丁度24年くらい前、私が中3に入って少しの時軽い気持ちで2泊3日の家出をした事がありました。
軽い気持ちだったので悪びれた気持ちもなく普通に夕方位に家に帰ると、親から怒られる事もなく、そのまま家族で食事に行ったのが初めてで最後のカーニバルプラザでした。
食事している際にカメラマンがテーブルにやってきて写真を勧めてきた際、父親が笑顔で「撮ってもおらおう!記念の日やから!」といって家族で写真を撮ってもらったのを覚えております。(その時は家出したのに「何が記念だ?」とずっと思っておりましたが、今思えば親は「木の上に立って見る」という当時の父の心の持ちようが理解できます。)
その時に撮ったポラロイド写真は、頂いた時の紙枠に入ったまま今も実家のキャビネットのガラス越しに飾られています。
バカ息子がバカをして帰って来た日に、そんな息子と沈んだ気持ちの家族を活気づけようと思い、カーニバルプラザという場所を選んで連れて行ってくれた父に感謝しております。