1970年代の大阪府吹田市の大阪市営地下鉄、江坂駅前や
江坂町付近が田んぼや竹藪ばかりで
店舗などがまだ何も無かった頃、
1983年に開業し同時に江坂の町を発展させていった
江坂カーニバルプラザは
それまで日本に無かった外国のレストランのような陽気な
エンターテインメントレストランという珍しさもあって
瞬く間に行例の出来る大人気になった
1983年当時、日本一大きいレストランだった江坂カーニバルプラザ
そんな江坂カーニバルプラザも時代の流れで徐々に衰退し
2008年に閉店し建物は全て取り壊されて更地になり
完全に幕を閉じてもう過去の物となってしまったが
今でもあの1980年代を関西圏で過ごしたの人達にはあの賑やかで
テーマパークのようだったレストラン江坂カーニバルプラザは
バブル時代全盛期の蜃気楼として記憶に残ってるだろう
自分の記事の中でも江坂カーニバルプラザの記事が
1番アクセスが多いのがその証拠だろう
あの1980年代頃はインターネットも無く今の時代と違って
過去の人気テレビドラマやテレビの企画のような
あの消えた人気レストランの裏事情は
知るすべも無いが、自分の手持ちの古いバーズアイという
北摂の情報誌の中で1980年代の
江坂カーニバルプラザの開業に至るまでの裏話は知ることが出来たが
そして最近、仕事先で知り合った自分より少し上だが
ほぼ同世代の昭和30年代後半生まれの方
この方は話をすると若い頃からバンド活動をしていて
今でも音楽関係の仕事をしているようで
自分も一応ギターも弾いたりするので
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1980年代の音楽の話や世代が近いので昭和時代の話や
バブル時代の流行の話で話が盛り上がり
会うたびに長々と話すようになった
そして北大阪の方というので1980年代に人気でかつてあった
大阪府吹田市江坂町の江坂カーニバルプラザという
レストランがあったのを知っていますか?
と聞いてみると、なんとこの方
その江坂カーニバルプラザで自分が当時店内でよく見てた
あの楽器生演奏隊をかつてしていた方だったようだ
なのでその話で盛り上がりさらに
江坂カーニバルプラザの営業当時の事を教えてもらい
当時の写真も見せてもらい記事の為に当時の写真を譲って頂いた
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これだ、あの衣装だ(^_-)-☆、懐かしい
楽器生演奏隊はトランペット、太鼓、バンジョーの
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3人編成で8人程の入れ替わりで楽器は自己の持ち込みだったようだ
曲はカントリー、マーチなど決まっていて3曲を
ランダムで演奏し歩き回り、
当日が誕生日と聞かされると司会の店員に案内されテーブル周りで
ハッピーバースデーを演奏する、これは何度やっても
日当に含まれるようで別手当は出なかったようだが
当時はこんなサービスは珍しかったので
お客さん達からスター扱いされたようで
子供と一緒に写真を撮って欲しいと頼まれたり、
子供や家族の誕生日の演奏でありがとうと
凄く感謝されチップも弾んでもらったそうだ
とてもやりがいがありチップも貰えていい時代だったようだ
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当時はあの楽器生演奏隊がマーチなどを演奏しながら
店内に入ってくると大人になった自分でも童心に返り
心がウキウキしてたし楽器や衣装もキラキラ輝いてた
もちろんあの江坂カーニバルプラザで人気だった
長身の外人のピエロ、チャックさんの事も知っていた
まだリハーサル時の化粧、仮装をしていない
チャックさんの貴重な画像
なんか自分の記憶と違うかな(;^_^A
プライベートでもとても明るい日本語が堪能な方だったようだ
ただ帰りは車であの仮装のまま帰るので途中に
何度か職質にあったらしい(^_-)-☆
1991年に東大阪市の近鉄ハーツ内に
カーニバルプラザの東大阪店も出来たので
東大阪の方がメインになったようだが
たまに応援で江坂カーニバルプラザにも行っていた
控室での休憩中は専らトランプゲームにいそしんだようだ
食事はカーニバルプラザの名物の蟹や肉は
忙しくてほとんど食べれなかったようだ
ただ楽屋での博打やラストのみんなでの打ち上げの酒は
楽しかったらしい
日当は決して高くは無かったようだが毎日が楽しくやりがいがあり
経営がダスキンという大手企業なのでこの方も安定した収入源で
将来はもう安定と思ったのだが、
開業以来、1980年代からバブル景気の1990年代前半は
あれほど毎日たくさんの客で埋め尽くされたカーニバルプラザも
人々ももっと新しい物を求め始めたのか徐々に飽きはじめたのか
1990年代後半になって平日は江坂カーニバルプラザ、
東大阪カーニバルプラザも徐々に客が入らなくなり
まだ土日は満員だったものの平日がどんどんガラガラ状態になり
経営状態も徐々に悪化していきついにオーナーから
ある決断が出され、1999年を某日をもって
ピエロと生楽器演奏隊は廃止するからと突然の解雇を通告された
つまり経費節減によるリストラであった
なぜかある時から突然消えた陽気な外人ピエロと
楽器生演奏隊にはこんな裏事情があった
ただラストの日は20人程のバンドメンバーが全員
東大阪カーニバルプラザに集結しスタッフ達と閉店後
お別れライブをやり食べ放題で締めくくったようだ
この後は誕生日のハッピーバースデーの歌のサービスや
カクテルサービスは続いたものの楽器生演奏隊無しの店員の
コーラス隊のみに変わった、あれ生楽器演奏隊は?
どうしたんだろう最近見ないな、ピエロもとは思っていたが
自分らもやや飽きも来出したのか変わったのかという程度だった
もちろん店員の皆は一生懸命に声を張り上げて歌ってくれたが
今にして思えばやはりあの楽器生演奏が無いと華やかさが
大きく下がってしまてった
この1990年代後半以降、バブル景気が終わり、
あちこちの企業でリストラという言葉が流行りだしたが
江坂カーニバルプラザでも起こっていた
そう終身雇用制というのが無くなって行く昭和世代にとっては
不安な世の中の始まりだった
それから東大阪店や全国あちこちにあったカーニバルプラザも
徐々に閉店していき
10年後の2008年に本店の江坂カーニバルプラザが
営業を終了し、その後解体され、跡形も無くなった
自分にとっても元楽器演奏隊のこの方にとっても
江坂カーニバルプラザは今となっては遠い古(いにしえ)の事だが
今でもあの賑やかで騒がしく店の奥の方から
楽器生演奏隊のマーチが流れて来て仮装した楽器隊の店内の
行進が始まると心ウキウキした思い出のシーンが蘇る
もう1度ああいう記憶に残るレストランが復活して欲しい
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