1970年代に起こったスーパーカーブーム
1970年代はアメリカやヨーロッパの外国製品は舶来品と呼ばれ
高級品扱いされ当時の日本の憧れだった
車においてもアメリカ製、イタリア製、フランス、イギリスの
自動車は高価でデザインもかっこ良かったので
昭和40年前後生まれの男性なら子供の頃
そんな高級外車が日本に入って来て初めて見た驚きは
当時日本車に無い低いデザインや
ポップアップするリトラクタブルヘッドライトは
当時はほとんど見たことがなかったからそのカッコ良さに惹かれ
そんなスーパーカーを見かけよう物ならカメラを持って
追いかけたりしたそれがいつしか流行し
スーパーカーブームとなった
当時はスーパーカーに乗ってると子供たちに囲まれたようだ😅
さらに当時の少年達は憧れのスーパーカーの形をした
スーパーカー消しゴムや下敷き、筆箱など
たくさんのあらゆるスーパーカーグッズを集め回り友人らと競った
さらにそのスーパーカーブームに後押しされ
全国で行われたスーパーカーショー
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これはサンスターが企画しサンスターの製品を買って
そのシールなどを集めて応募すればスーパーカーショーの招待券が
当たるという物で子供にせがまれ買わされた親も多数
協力は某ラジオ、
シーサイドモーターの他にイタリア大使館商務部とある
1970年代のデパート、百貨店はスケールのでかい企画を
やっていたので全国でスーパーカーショーや同乗などの企画がされた
自分も小学校の頃友人と近所の兄ちゃんに連れられて
1977年8月に奈良県のあやめ池遊園地で行われた
スーパーカーショーを見に行った事があった
子供時だったのでカメラを縦にする事を知らず
切れた画像ばかり😥
これはオートロマン主催とある
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松田優作の蘇る金狼の映画でカウンタックを納車するときに
出てきた東京、田園調布にかつてあった会社で
この会社もスーパーカーブーム時は子供の見学で一杯だったという
一応このスーパーカーブームを作ったのは
1970年代の漫画、週刊少年ジャンプで連載されていた池沢さとしさんの
サーキットの狼がひきがねとなり
そして1970年代当時、スーパーカーを扱っていた
神奈川県の横浜にあったシーサイドモーターと言われる
スーパーカーブーム時の1975年頃はカメラを持って
スーパーカーを見に来る子供で連日一杯だったようだ
横浜シーサイドモーターはブームが去った1980年に倒産しているが
そのシーサイドモーターで営業部長だった鞍さんは
当時の経験を活かし、現在はキャステルオートとして看板を掲げ
その当時のスーパーカーをレストアして営業されている
自分も2008年に1度見学させて頂いた事がある
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スーパーカーブーム時代の新車のスーパーカーを見てきて
販売された経験を持つ貴重な生き証人だ
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その鞍さんの会社のブログには当時のシーサイドモーター時の
スーパーカーブームの事が書いてあり
読んでみたらとても面白かった
リンク切れ前の記事の方が、販売したミウラの壮絶な事故原因や
前社長が高飛び前に社員への退職金代わりに置いていってくれた
ランボルギーニ・カウンタックLP400を売ろうとしたら
業者が足元を見て安い金額しか買い取れないと言われたとか
シーサイドモーターの倒産時の切迫した事がより詳しく書かれてたので
面白かったのだが残念ながらもう見れない
スーパーカーブーム時の1970年代は自分はもちろん子供だから
経営の事は何もわからなかったと思うし
あのブームが去って自分らもいつしかスーパーカーの事も忘れ
次のブームに移行していったのでその後
あの会社がどうなったかも知る由もなかったし
大人になって読んでみるとやはり経営の難しさ
一時のブームで営業を続けて行くのは難しいと感じさせられる
当時はブームに乗り儲け続けていたシーサイドモーターの社長が
勢いで身分不相応なイタリアのブランド物で作られた内装の
豪華な10階建てのビルを建てた、もちろん借金だ
シーサイドモーターの営業当時のショールームには
たくさんの新車のスーパーカーが飾っている
現在でもスーパーカーと言えるフェラーリや
ランボルギーニの高価な車はたくさん走っているが
1970年代当時は日本に高級外車は数台しか入ってない頃で
今のようにありふれて見られる時代とでは
価格は今の方が高くとも貴重度が全然違うし
所有の自慢度も全然違っただろう
倒産寸前の1979年頃の広告では外車の総合デパートとあるが
鞍社長によるとこんなキャッチフレーズを付けたら
もう会社として終わりらしい
結局この豪華ビルの建設費用の借金と有利子負債が原因で
ビル完成後、わずか5年ほどで倒産してしまった
その創業当時の当時の子供たちの目を虜にしたシーサイドモーターの
ビルがまだ残っているというので
神奈川県横浜に行ったついでに見に行ってみた
1970年代にスーパーカーブームを作った横浜シーサイドモーター跡地へ 昭和の子供達の目を虜にしたの夢の場所は今でも存在する
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