大阪府河内長野市の近鉄電車、河内長野駅で
昭和レトロ探索したついでに
せっかく河内長野市に来たので久々に
1978年8月に小学生の時にサイクリングで初めて泊りに行った
その河内長野駅ユースホステルを久々を見に行ってみようと
2000年頃に河内長野ユースホステルのすぐ前にあった
天然温泉 奥天野温泉 茶花の里によく入りに来た時は
大阪府河内長野市の天然温泉、茶花の里 ウッド作りの天野山の山間の静かな温泉 陶芸教室もあったカルチャー&リゾートスペース
すぐ近くにあるのは確認して昔泊りに来た事があったなと
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思っていたがあまり関心が無く見に行く事は無かった
でも一応ここに来た時は初めて来た昭和53年当時を
思い出すので当時ヒットした原田真二や渡辺真知子、ツイスト
などの昭和53年のヒット曲を掛けたりしながら向かった
そして旧170号線を走り金剛寺南門を右折、ここからが
かなりの登坂、当時は8月の熱気ムンムンの景色がゆがむ中、
静かな急な山道を友人と2人、自転車を押しながら
汗をかきながら河内長野ユースホステルを目指した
途中、当時には無かった新しい170号線の高架や出入り口が
あるせいか交通量は多い、そして坂の途中にあるここも当時
訪れた関西サイクルスポーツセンターの手前を右折、
橋を渡った左側の奥に河内長野ユースホステルは今でも存在する
47年前にここ河内長野ユースホステルを訪れ
初めての憧れのユースホステルの宿泊初めての子供だけの
泊り旅行だった

まだ河内長野ユースホステルの看板はある
47年振りにこの地を訪れる、当時は前の道は今の様に
アスファルトで整備されて無く砂利だった記憶がある😏

河内長野市天野町1305-2
47年ぶりに見た2025年時の河内長野ユースホステル、
今でも変わらぬ姿でそこに建っていた、だが1978年当時と
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違うのはもう営業を止め全く人気も無いという事だ
1978年5月20日にオープンした河内長野ユースホステル
自分らが訪れた1978年8月12日時はオープンからまだ3か月の
ピカピカの新しい施設だった
そして時代は流れ今は老朽化の為、すでに廃業し廃墟として残る

1978年当時に見た時はオープン間もないので当然ながら
ピカピカだった河内長野ユースホステルの看板プレートも
まだ付いているがもう色褪せてしまっている

自転車が飾られているのが見える
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崖に面してポツンと建っているが、すぐ裏に
関西サイクルスポーツセンターがあるので遊具も見え
賑やかな子供や家族連れの声が聞こえる
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アクア・リアージュ
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廃業してしまったのでもう2度と入る事は出来ないが
ホームページにはまだ情報が残っていて

室内の画像もみる事が出来る、当時は初の長距離サイクリングで
疲れていたせいか8時にはもう寝てしまったのであまり施設内は
覚えてないがお風呂はこんな狭い感じで細長い浴槽なのは
覚えていて、自分らが風呂に入りに行った時は先に着いていた
年上らしき中学生が先に入っていて水中メガネを付けて潜ったり
していてわいわい賑やかに騒いで遊んでたのがまだ記憶にある
1978年当時は1900円で2食付きで泊まれた
今では河内長野ユースホステルはほぼ倍の3900円になっている
まあ40年以上の物価上昇を考えればそんな物かもしれないが
今では一般的に考えればそうビックリするほど安く無いだろう
そういうのもあって安過ぎる宿泊施設というユースホステルの
アドバンテージ薄れ淘汰されて消えていった

横の駐車場から廃墟になった河内長野ユースホステルを見る
1978年当時は先に来ていた中学生のグループは車で来ていた
なので下のここに止めていた、ここも当時は砂利だった記憶
があり、そして丁度帰る時に、車が砂煙を上げて通り過ぎ
自分らに大きな声でお別れを告げて去っていった
当時はこれが旅人とのふれあいだと思った😊
そしてついでに2000年前後によく訪れた茶花の里温泉も見に
2004年に火事になり廃墟になってしまい2007年に見に来た
時はすでに閉鎖され近づけずに遠くから焼け跡の廃墟を見た
youtubeに茶花の里温泉の廃墟を探索した人がいて
火事になったので施設はほとんど焼けてしまったが
自分が入った温泉施設は少し残っていて利用したロッカーや
内湯やウッド作りの露天風呂などを見る事が出来た

それも解体工事が始まっていて入り口アーチ以外は
更地にされていた





















