和歌山県の有名温泉地の南紀勝浦温泉
その中な大型観光ホテルのひとつかつうら御苑
1986年春頃に少し働いていた事がある
1985年の広告、まだ露天風呂が無いので写っていない
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自分の持っている当時の資料パンフレットにあるのと同じ画像だ
1986年当時に年配の元重役でその時は一ホテルマンだった人と
話をした時に創業者と共に近くの高台から
まだ空き地だったこの土地を見てここに最高のホテルを建てようと
創業者と決めた事を今でも思い出すと言っていた
この左側に仲居さん用の寮があって自分もそこで暮らしてた
4畳半一間の何も無い部屋だった、共同洗濯機だった
2011年4月に那智勝浦温泉に来て1300円の
那智勝浦温泉の湯めぐり手形で入れるので
この懐かしのかつうら御苑に行ってみた
温泉のある観光ホテルなので毎日温泉に入れるというのも
従業員のメリットのひとつだが
実際は従業員はホテルの温泉に入ってはいけないようで
従業員用の裏にある狭い風呂に入らなければいけないと
1度だけ従業員用の小さい浴場に行ったが
古くからの社員の人に聞くと
そうは言っても別にいいんじゃないか、皆、温泉に入ってるよ
と言われたので2日め以後はずっと温泉に入っていた
当時は勤務の終わった夜しか入った事しかないが
明るいときは熊野灘の海が望めるようだ
この従業員用の小さな浴室で出稼ぎに来てた
10人くらいのフィリピン女子に会った
この子らは夜のフィリピンショーで踊っていた
あそらく狭い寮に多人数で押し込まれたんだろうが
今なら人権問題だが当時は出稼ぎ外国人の待遇は
どこでもこんな物だった
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リーダーのブロンドのロングヘアのどう見ても女性に
しか見えない男性だった、
この人しか日本語が話せなかったようで女子らとのまとめ役だった
このフィリピンショーとセットであったのが
昭和の時代らしくストリップショーだ
同じように看板に書いてあるので、
(これも昭和の時代らしい軽い騙し(;^_^A)
このフィリピン女子が脱ぐのかと思いきや
全く別物のショーで別に派遣されて女性がやってくる
照明係の男性と2人でやってきて結構なお金を取って帰るらしい、
40歳過ぎの欧陽菲菲に似た感じの女性だった
このフィリピンショー・ストリップショーは
1000円の入場料でワンドリンクサービスだ
瓶は有名メーカーのウィスキーだが中身は?
まあ当時は有名瓶との詰め替えも平気でやっていた(^^♪
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これも大雑把な時代だったせいか
上層階にはVIP用の豪華なスイートルーム、滝見亭があり
よく見に行った、広く豪華な家具も備え付けだった
ホテル業は夕方3時から9時迄にお客さんを出迎え食事を提供し、
朝7時から10時までにお客さんを送りだしての9時間労働
都会に比べると賃金は驚く程安かったが
ベテラン社員の人によるとホテル勤めは衣食住3食宿付きなので
お金を貯める人は貯めてるようだ、この時代は流れ者が多く
突然やってきて働きたいと荷物ひとつでしばらく働いてまた
次のホテルに紹介してもらって流れて行く人が多かったようだ、
今は無理かもしれんけどあの時代だったからか
だから自分が都会からこっちに研修で働きに来てるのに
田舎から都会に行く例は多いが逆は少ないので君は
何か悪い事をして逃げてきたんじゃあとよく冗談で言われた
結局都会が恋しくて逃げだしたが(;^_^A
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だが初めての家を離れての寮生活で田舎町で不便で
こんな場所でと働いてる時は嫌だったけど
後でエレキギター1本で演奏して宴会を盛り上げる
キンキラの派手な背広を着たおじさんミュージシャン、
芸名があったが名前は忘れた
(本人はネタでチャールズ・ブロンソンの息子と言っていたが
具志堅用高に似ていたが宴会ではしゃべりが面白かった)や
若いたくさんのフィリピン人女子や他にもたくさんの従業員らと
ボヤキながらワイワイ働いていたので楽しかった思い出もあり
ああいうのも良かったなと懐かしく感じる時もある
ちなみに観光ホテルで1番優遇されるのは調理師さんで
調理師さん用の食器など用意されたり優遇面もある
自分も一応3食付きで従業員食堂で食べてたけど
朝は味噌汁とごはんのみ昼と夜はそれに1品のみがつくだけ
たまに親切な仲居さんから
客が手を付けていない綺麗なおかずをもらう事があったが
気にいらないおかずが出た時や足らない時は
裏口のすぐ前に古い食堂があったのでそこで食べてた
そこも今は取り壊されていて更地になっている
ホテルの裏が海岸になっていて広い道でここで
仕事終わりに夜の海で缶コーヒを飲みながら涼んだりした
1986年当時は車が入れたので車でも入って
自分のボロ車で夕涼みをした
2011年現在はフェンスができてここは車が入れないようになっている
まあ田舎だからそう昔と景色は変わってないが
この前の道もよく歩いた昔はよくネズミ捕りをやっていた
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