1983年8月に友人に誘われて同級生5人で初めて
香川県の小豆島へ海水浴に行った
大阪市の弁天埠頭からフェリー、関西汽船で4時間半
昭和時代にフェリー乗り場だった弁天埠頭ターミナルビル 関西汽船 加藤汽船の跡地へ 大阪市 関西汽船トラベル発行の潮風通信
現在は明石海峡や瀬戸大橋の開通でフェリーは廃止など
ほとんど無くなってしまったが当時はフェリーはたくさんあり
乗客やトラックや車もたくさんいてまだまだ活気があった
1983年の関西汽船

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この船に乗って大阪から小豆島へ、約4時間半の航路で坂手港に

1983年のようこそ小豆島への看板
当時は携帯電話など無かった時代だから
電話ボックスも3つも並んでいる

1978年に出来た内海町サイクリングターミナルが後ろに見える

坂手港近くで野球をやったり泳いだり釣りをしたり
当初はテントを持っていてキャンプで4日過ごし節約する
はずがだったがあまりの暑さとミミズや虫の発生に1日で嫌になり
(その日の星は綺麗だったが)
食堂がやっている民宿に泊まる事に、そこで3食を食べれるし
福家旅館だったかな?
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30カローラ2ドアハードトップが


レンタル自転車を借りて散策したり
懐かしい安全コロナが

楽しかったしフェリーの旅も良かったので

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翌年の1984年もまた同じメンバーと
一人増えて行った
今度は夜に大阪市弁天埠頭からフェリー加藤汽船に乗って

当時流行っていた防水アウトドア用のSONYの
スポーツウォークマンWM-F5が腰に見える 当時33000円

1984年当時は友人は皆、当時としては画期的な小さいサイズだった
カセットテープケースサイズのsonyウォークマンⅡを持っていたが
自分は変わり者だったので😅FMも聞けたし
防水なので海の砂浜でも聞けるスポーツウォークマンWM-F5を買い
それで海の似合う歌の杉山清貴&オメガドライブ
などの夏の歌が聞いていた
ただ到着は6時間後の土庄港で
朝早く到着したが去年泊まった食堂兼民宿、福家旅館が
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アクア・リアージュ
長時間保存可能だからいつでもどこでも水素水 水素水は保存が難しく、時間が経つとただの「水」になってしまいます。 しかし、アクア・リアージュは、ナノサイズの小さな水素のバブルを作り出すので、 生成した「水素」を長時間保存することができるのです。
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3食御飯も食べれて安く良かったので
福家旅館のある坂手港まで歩いて行こうとしたが
タクシーが早朝集団で道路を歩いていたのを不審に思ったのか
止まってどこまで行くの?と目的の場所を聞かれ
坂手港までというと20km弱あるよ、歩くと数時間かかると言われ
これはあまりにも遠いし少し運賃を負けてくれるというので
タクシーで坂手港まで向かい
去年と同じ食堂に泊まった
海のあまりみる事の無い大阪に住んでいたので
当時は海を見てるだけでワクワクしたし
当時流行っていた海に似合うお洒落な杉山清貴&オメガドライブ
の曲をウォークマンで聞きながら海をさらに感じて😄
最終日、自分は今年新しく来た運動の得意な奴と
レンタル自転車を借りて小豆島1周をする
もちろん80年代当時だから電動なんて無くママチャリの様な物だ😅
まずは見たかった、漫画サイクル野郎にも出て来た
二十四の瞳の舞台で有名な学校、岬の分教場
1902年、明治35年に建てられた木造校舎は当時のまま保存され
100円で見学が出来る
途中泳いだりしたので時間を食ったのでショートカットして
寒霞渓もサイクル野郎に出て来たので行きたかったが
山なので坂がきつく断念し

緑色が通ったコース
石彫公園

スポーツウォークマンWM-F5で
杉山清貴&オメガドライブ音楽を聴きながら

友人は石の上で撮影していた

橘岬にある瀬戸内海の展望地 南風台

帰る頃には日が暮れていた
そして帰りは坂手港からなので関西汽船のフェリーで大阪へ

大阪へ帰って皆で地元のBIGBOYで一休みして解散
1984年8月5日





















