毎年恒例の
2022年、新春の旧車が集まっている東大阪パーキングに見学へ
2022年、新年の東大阪PAで1980年代の懐かしい旧車達を見学に ハコスカ RSターボ R32スカイライン Y30セドリック
来てた旧車の中に
懐かしいカラーリングのB110型サニーのトラック、通称サニトラ
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このボディカラーとLEYTON HOUSEのデカールは
バブル時代に出現し流行ったレイトンハウスカラーだ
レイトンブルーと言われたが
ブルーともグリーンとも言えない当時としては見た事が無い
画期的な印象に残る鮮やかな色だった
1988年は当時最速のF1ドライバーだった
故アイルトン・セナの活躍による人気によって、
CMのセナ様で有名になって
F1ブームが起こった頃、自分もこのカラーと
レイトンハウスを知った
会社の実態はバブル景気に乗り不動産会社、
地上げ屋、オフィスビル、ゴルフ場、
照明器具落下事件で有名になった六本木のディスコ
「トゥーリア」などの経営で成功し、
さらにアパレルメーカーも展開していった、
実業家の赤木明氏によって作られた企業で
自分はアパレルメーカーのイメージが強い
その稼ぎによってレーシング業界にもお金を注ぎ
1980年代に若手有望ドライバーだった故萩原光
(ハギワラアキラ)の個人スポンサーもした
六本木防衛庁奥のレストラン&BAR
LEYTON HOUSEも経営
生前の直前まで萩原光も気に入って通っていた
レーシングチームも立ち上げ
1987年にはレーシングマシンの最高峰
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F1の名門マーチチームとも提携し
1989年には赤木明氏は
日本人初のF1チームオーナーとなって
1990年にレイトンハウス・マーチに名称変更し
コンストラクターとしてF1に参戦
世界の走る広告塔と言われたF1マシンだけに
一躍鮮やかなレイトンハウスカラーがメジャーとなった
特にF1が日本で1番注目を浴びた1988年、
日本のホンダエンジンがマクラーレンと組み
16戦中15勝と圧倒的な強さを見せつけた年に、
当時のレイトンハウス・マーチ・ジャッドの
赤城明オーナーが目をかけていた
エースドライバーだったイーヴァン・カペリは
終盤のF1日本グランプリが行われた鈴鹿サーキットで
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圧倒的にパワーの勝るF1ワールドチャンピオン、
アラン・プロストの駆る
マクラーレン・ホンダのV6ターボエンジンを
非力な3、5リッター自然吸気エンジンのジャッドエンジン
ながら追い回しついに鈴鹿のホームストレートでかわし、
トップに数秒ながら立った
1980年代からF1でもターボエンジンが登場して以来
圧倒的エンジンパワーでターボ車勢がレースを席巻していたので
この自然吸気エンジンのラップリーダーは71戦ぶりの記録だった
1988年、唯一ホンダV6ターボエンジンを抜いたマーチ881
これは後にウィリアムズやマクラーレン、レッドブルら
のマシンを設計しチャンピオンカーにした
空力の天才デザイナー、エイドリアン・ニューウェイが
デザイン設計したマーチ881が空力に優れていた事もあった
その後残念ながらカペリはエンジントラブルの為
途中リタイヤしたが地元の日本でいいとこを見せた、
1988年のレイトンハウスのレースクイーン
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この1988年はアイルトン・セナの人気で
最もF1が盛り上がった時代、レースクイーンも一杯
1991年のレイトンハウスのレースクイーン
初のF1、日本人オーナとしてバブル景気に乗り
順調にアパレル企業としてブランドイメージを作り上げ
様々なグッズを販売したくさんのショップを全国展開し
1980年代からF1のマクラーレンチームの
スポンサーとしてドライバーやチームスタッフ用の
スーツ・ユニフォームを供給していた
ヒューゴ・ボス(HUGO BOSS)も
(自分の持つ2007年のマクラーレン・メルセデスベンツ
のジャンパーにもロゴがある)
買収したりポッカコーポレーションから
レイトンハウスF1ドリンク、さらには音楽業界にも進出
レイトンハウス音楽産業をも設立し事業拡大をしていき
メディアにも多数出演していた
赤城明オーナーだったが好事魔多し、
1991年にバブル景気が弾け徐々に経営状態が悪化し
さらに同年の1991年9月に衝撃的なニュースが飛び込んだ
2000億円もの大金を富士銀行(現みずほ銀行)から
不正に融資しを受けたとして赤城明オーナーが突然逮捕された
お金を借りて罪になる?
今だにイマイチ凡人にはわからぬ罪状だ
バブル崩壊とチームオーナの逮捕、
結局、これが決定的になって
レイトンハウスF1チームは財政難に陥り
1991年をもってF1レースから撤退、
まさにバブルと共に消滅してしまった
会社自体も1998年に破産し倒産
日本人初のF1オーナーとして1時代を築き上げた
赤城明オーナーはその後メディアから姿を消し
2018年8月10日、72歳で死去したようだ
1980年代から90年にかけてバブル景気に踊り、
同じく1990年にF1買収に成功しF1チームオーナーとなった
ラルースを買収したエスポ・コミュニケーションズの伊東和夫社長
鈴木亜久里選手の個人スポンサーで1989年にF1ドライバーとして
デビューしたが3流F1チームで予備予選も通らず苦しんでいた
鈴木亜久里選手の為にランボルギーニV12エンジンを搭載する
F1チーム、フランスのラルースを金で買い取り
エスポ・ラルースチームとして参戦し
鈴木亜久里選手をエースドライバーにまでした
今から見るとバブル時代までの豪傑な社長の凄い話だ
アローズを買収した運送会社のフットワークの大橋渡社長も
バブル崩壊と共に財政悪化し経営破綻
レイトンハウス同様にF1界から姿を消した
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