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パワースポット大阪市 堀越神社は一生に一度の願いを聞いてくれる神さん

投稿日:2016年8月17日 更新日:


元巫女のmikomikoさんが勧めるパワースポット神社

【一生に一度の願いを叶えてくれる神様・堀越神社】

大阪府大阪市の天王寺駅から、

徒歩10分圏内の通り沿いに堀越神社はあります。

交通量の多い通りなのですが、

不思議なくらいに境内にはひっそりとしていて、

緑豊かな穏やかで静かな空気が流れています。

創建はなんと、第33代推古天皇の頃で、

当時の摂政だった聖徳太子が叔父・崇峻天皇を偲び、

美しい茶臼山を選んで建立し、お祀りしたことに始まりました。

また、慶長・元和の大阪冬の陣・夏の陣の古戦場としても

数々の伝承とともに知られています。

大阪では古より

「堀越さんは一生に一度の願いを聞いて下さる神さん」

という言い伝えがあり、今でも多くの人が参拝に訪れています。

メディアにも何度も取り上げられたため、

パワースポットとして全国区でもすっかり有名になった堀越神社ですが、

地元では今も昔も変わらない親しみを込めて崇敬されています。

【神社で願い事をする意味】
 

堀越神社には

「一生に一度の願いを聞いてくれる神さん」

に願い事を叶えてもらいたいと、日本全国から多くの参拝者が訪れます

事前予約が必要な正式参拝には、堀越神社独特のものがあります。

それが「ひと夢祈願」です。

ひと夢祈願は一生に一度の願い書いた短冊を御守袋の中に納め、

お供えして祈願してもらった後に、御守とします。

「御守=神様の御霊をお分けして頂いたもの」なので、

御守を肌身離さず持ち歩くというのは、

神様が常にお傍で守護して下さっているという意味があります。

それに加えて、ひと夢祈願の御守には

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「自分自身が書いた願いの短冊」が納められています。

これは神社で絵馬を書くのと似ています。

神社で絵馬を書くのは、

神様にお願い事を聞き届けてもらうのと同時に

「神様へこの願いに向かって誓いを立てる」

意味があります。

そのお願い事を持ち歩くというのは、

自分自身が常にその事を意識して、実現するために実行する

という大切さを伝えるものと考えていいでしょう。

願い事を持ち歩くということは、

「己」を常に意識していける身近なセラピーなのです。

神社で願い事をするというのは、

決して魔法のようなものではありません。

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目標や夢に対しての自身の心や考え、行動を常にみつめ、

意識していくための実現行動のひとつです。

時には願い、祈り、常に感謝をする。

この繰り返しが人を豊かにします。

神道では、神様は常に人々の生活に寄り添い、

いつでも恩恵を注いでいると考えます。

その恩恵を受け取れるかどうかは、個々の意識にほかなりません。

地元や旅行先で神社の神様にお参りし、

その場でご自身の手帳や便せんなどにお願い事を書き、

常に持ち歩いてみてはいかかがでしょうか。

堀越神社

〒543-0063

大阪市天王寺区茶臼山町1ー8

近くには昭和レトロなラブホテル 醍醐ホテルがあった

いかにも昭和50年代の豪華なラブホテルで懐かしいが

もう廃墟のようにも見える

帰りに1990年頃によく行った昭和レトロな食堂

マルミヤ食堂を見に行く

昭和のまま生き残る食堂 マルミヤ食堂 大阪市天王寺区 

2016年8月17日

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執筆者:中途半端な昭和人


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1998年8月10日生まれ
1999年3月29日にやってきた
2012年7月10日腎不全により没


2012年5月12日生まれ、2012年8月27日に家族の1員に、長距離旅には先代よりたくさん行った
2023年7月8日に心臓肥大による心臓破裂で1時心肺停止、その後奇跡の蘇生、元気に復活するも2023年9月9日肺水腫再発により没

 

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