大阪市浪速区の通天閣は昭和の頃から大阪を代表する
シンボルのような物、大阪と言えば通天閣!
というのは自分らの世代では他府県側から見た印象で
実際に1980年代半ばに専門学校時代に和歌山市から来ていた
の同級生が居てその友人に大阪と言えば真っ先に思いつくのは?
と聞くとやはり通天閣だった
新世界は1903年、明治36年に開催された博覧会の跡地に誕生し
ルナパークという遊園地や初代通天閣が出来、
大阪を代表する一大娯楽場として発展しその後も火災や戦災を経て
復興された通天閣、新世界は大阪庶民の街として進んで来た
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通天閣、新世界と言えば古くから大阪の代表的な盛り場だったが
自分らの世代や親世代での昭和時代の町のイメージは
ホームレスの浮浪者や酔っ払いがたくさん居て昼間から
町の路上や道路で寝ていてやや汚れた町で
時代遅れな戦後さながらのドヤ街のイメージがあり
素人は決して足を踏み入れてはならない禁断な場所、
タクシーも新世界は当たり屋
(わざと車にぶつかって賠償金をせびろうとする浮浪者)
が居る為、行ってくれないと噂で聞いていた
自分も昭和の頃、営業などで新今宮付近を通る時は
信号待ちで車が横断歩道に飛び出そうものなら
町の地域住民から囂々と罵声を浴びせられている光景を見た
日本で唯一暴動が起こる場所としても有名で1990年頃
警察とのトラブルがきっかけで労働者達が暴徒化し、
昔あったサンチェーンというマンションの1階の
コンビニエンスストアが襲撃されたのをテレビで見て、
これ日本の出来事?って驚いた、偶然にもそのマンションは
当時の得意先の人のマンションで上で見ていて怖かったと
当時は語っていた、まあ実際には相乗り犯もいたようだが
自分らの世代、1970年代や80年代は遊びに行く場所は
常に時代の先端を行くお洒落な繁華街、梅田や難波だった
だが戦前生まれの明治生まれの自分の祖父や大正生まれの
叔父などはそんな雑草のような街も映画館、ストリップ劇場、
ゲームセンター囲碁将棋の店、フグや串カツ屋、一杯飲み屋など
が並ぶ歓楽街で東京、浅草のように物や安い飲食街が多く
庶民的ないい町と結構一人で行って飲み歩いていたようだ、
1984年春に祖父の葬式で夜に新今宮の大阪祭典に来た時に
同じ年の親戚と共にその叔父に夕食を食べに連れててやると
歩いて夜の通天閣のづぼらやに連れてってもらった
(多分叔父の方が通天閣で飲みに行きたかったようで
自分らを口実に使ったようだが)
その時は町に慣れた叔父がいたせいか特に危険は感じ無かった
梅田や難波のような華やかな繁華街では無く
まさに人々が生きていく為のみに存在する商店街という
雰囲気だった
特にジャンジャン横丁という独特な狭い商店街は
アーケードの路地に串カツ屋、焼き鳥屋、将棋クラブ、
パチンコ屋などの狭い店が並ぶ
ジャンジャン横丁の名前の由来は飛田新地にも近い事から
かつては飛田の遊郭に通じる道だったので
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三味線をジャンジャン鳴らして客を呼び来んだ事から、
特に山口県下関市生まれの作家、林芙美子の
昭和26年大阪を舞台にした小説 「めし」で一躍
新世界は有名になった
じゃりン子チエのような世界かな

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(1985年の通天閣、新世界の地図)
座が多く地図に書かれている
自分が1970年代に読んでいて当時週刊少年キングに
連載されていた漫画サイクル野郎は
自転車で日本一周する物語で大阪は通天閣が出て来た

(コミック22巻より)
当時は作者の庄司としおさんは実際に現場に行かれた書かれたので
1970年代の実際の通天閣の風景で角のづぼらやや
やはり大映、松竹など座がある
パリをお手本にした放射線状の町並みが特徴
1970年代に狆という雌犬を飼っていて
子を産ます為に雄犬を探してたら
この通天閣の真ん前のいづもやという大きな料理屋に居て
2度犬を持ってきた事があった、
新世界市場は明治時代からの歴史がある
今の通天閣は昭和31年に高さ103メートル
展望台の高さ91メートル
世界初の円形型エレベーターを備えた2代目
昭和40年代のオイルショックの時は
1時期ネオンが消されていた

1970年代の通天閣、通天閣本通り
そんなディープゾーンだった新世界、通天閣界隈も平成に入って
通天閣、新世界近くの天王寺公園を有料化によって
公園に住み着いていたホームレス野宿者などが一層され
それまで無法地帯で怖かった天王寺公園も綺麗に整備され
安全に家族連れなども行けるようになったし
なお昭和の頃のディープな天王寺公園はチョットマニアックな?
昭和63年公開の日本映画、追悼のざわめきの中で見れる
2000年代に入って関市長などによって大阪オリンピック
招致に向けて大阪城公園や扇町公園などの
ホームレス野宿者のテント住居も撤去され昭和の頃と
そういう人たちも徐々に姿を消し大阪の町は変わって行き
安全にその町に行けるなら
昭和を懐かしむ世代や昭和時代を知らない世代の若者が
昭和チックが残る街として逆に新鮮と
古き良き時代を感じられるという事と通天閣は
やはり大阪の下町を象徴する物だから
若者なども訪れるようになり観光地になり時代とともに町も
綺麗になって安全になって来たし
昭和の頃と違ってイメージも良くなり
そんなに怖く無くなってきたので
自分もそんな昭和な下町を感じる町を見てみたくなり
2010年9月に通天閣界隈、新世界に行ってみた





















