大阪市鶴見区にある広大な緑地帯
鶴見緑地で1975年の大阪万博に続いて
1990年、バブル時代真っ盛りに花の万博 EXPO’90
国際花と緑の博覧会が開催された
エキスポ70、いわゆる日本万国博覧会
Japan World Exposition, Osaka 1970は、
1970年3月15日から9月13日までの183日間にわたって
大阪府吹田市の千里丘で開催された国際博覧会
自分も子供の頃数度、親に連れていってもらったが
ほとんど覚えていない、歩く歩道って姉が騒いでいたくらい
そしてそれから20年、平成に年号が変わって
大阪で再び広大な都市公園鶴見緑地で
開かれたビッグイベントがEXPO’90、国際花と緑の博覧会だ
この博覧会は科学技術の進歩や成果を見せる
今までの博覧会と異なり、地球的規模で進む都市化と
それに伴って起こる緑の減少を考え、
自然と人間の調和をいかにはかるかをメインテーマに
催しされる国際博覧会だ
開催2年前の1988年の完成予想図
元々鶴見緑地は昔から巨大な緑地帯だったが
ゴミ山と言って地元民がゴミを捨てに来たという場所だったが
1980年後半辺りから世界の森という施設が出来たり
自転車しか通れなかった狭かった道も広く整備されたりして
今度はなんとここで大阪万博があるという
それも地方博覧会では無く国際博覧会?
この1980年代後半からは全国で博覧会ブームだったが
長くこの辺りに住む地元民にしては本当にあそこで・・・?と
にわか信じられなかったが
1989年頃から段々パビリオンが出てきて
夜は真っ暗だった鶴見緑地がキラキラネオンが輝くようになってきて
1990年4月に花の万博 EXPO’90として本当に開催された
凄い事に近畿自動車道の門真には花博専用の出入り口
門真入り口も出来たのはお金が掛けれたバブル時代らしい
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当時は家が近かったのでこれはすごい便利になったと思ったが
残念ながら閉幕後は撤去されてしまった
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それまでJR徳庵駅や放出駅は鶴見区の南側で
中央や北側に住む人間にとっては駅が遠くバスしかなかった
鶴見区に地下鉄も開通した
今は長堀鶴見緑地線と言われ大阪市営地下鉄と連携しているが
当初は京橋から鶴見緑地までしか無く今からすると不便だったが
大阪市鶴見区はそれまでは東大阪市に近いJR放出駅かJR徳庵駅
しか無かったのでこれで鶴見区はかなり便利になった
そして1990年4月1日から9月30日までの
183日間に渡って開催された
ねらいは花と緑と人間の生活の関わり合いをとらえ
21世紀へ向けて潤いのある豊かな社会の創造を目指す
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会場面積は約140ヘクタール 予想入場者数は2000万人
入場料 大人普通入場券 2990円 中人普通入場券 1550円
小人普通入場券 820円 大人特別割引入場券 1550円(身障者のみ)
すべて消費税(1990年当時の税率3%)込
園芸博の歴史としては、
花の万博は1960年にオランダのロッテルダムで第1回が開かれ、
以来ヨーロッパ各地やカナダで開催されてきた
国際園芸博覧会であり、1984年のイギルスリバプールから
6年振りに日本で開催が決まり、当時はアジアでは初の開催だった
花博の今も残るメインパビリオン「咲くやこの花館」には
約2600種類の植物が展示され、当時は2時間待ち以上の
行列が出来るほど人気のパビリオンだった
現在も日本最大の温室として約5500種類の植物が栽培されている
現在の咲くやこの花館の館長は花博開催の1990年の3年前、
1987年から手伝いに来てて特殊な植物が多いので
栽培する人達に色々教えていったりして
何とか1990年4月の開催に間に合わせた
ヒマラヤなど標高3500メートル以上に咲く高山植物や
全部の花や植物は期間中に咲かせ続けなけらばいけないので
中には数日しか咲かない植物もあるのでどんどん入れ替えねば
ならず、期間中は夜中に入れ替え作業を行ったそうだ
オーストラリアからも自国をアピールするために
飛行機2機分の植物が持ち込まれたしたまさにバブル時期だ
イメージキャラの花ずきんちゃん、
森の中で戯れるかわいい花の妖精のイメージ
その花ずきんちゃんのキャラクターグッズもたくさん作られた
予想入場者は2000万人
結局2300万人以上が来場したようだ
140ヘクタールの広大な会場に
街のエリア、野原のエリア、山のエリア3つのゾーンに分かれていて
それぞれ花と緑に関わる文化や芸術、産業などわかりやすく紹介する
1990年当時アイドルの斉藤由貴さんも
花博のここに期待と、コメントしている
開幕の日には
イメージソングを歌っていたアルフィーが
鶴見緑地の会場に来てライブをしていた
近所だったので見たかったがすでに満員御礼で長蛇の列
最後の曲のSWEAT & TEARSはFMラジオでも放送されたが
当時は近所に住んでいたので微かに歌声は生で聞こえた
開幕前にはテレビの歌のトップテンでドリカムの中継もあったし
ミュージックステーションでの中継もあった
急ごしらえの事もあってか
開幕直後2日目にウォーターライドの事故もあったが
1990年の好景気のバブル時代とあって
たくさんの各企業のパビリオンや遊園地、
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世界の庭園など賑やかであった
このウォーターライドの他にロープウェイやモノレールなども
敷地内を走り回っていたりEXPO’90パレードもあった
ミニチェアランド
ただ開幕当初の出足は鈍かったようだ
夏の高校野球の応援団関係者にも甲子園来訪時に是非と
案内状を送ったらしいが反応はイマイチだったようだ
が、残り1ヶ月を切ったあたりからかなり来場者が増えたようで
もう終わりということと涼しくなった気候で
会場は人人で埋め尽くされた
母親はすぐ近所という事もあってパスポートを買ってよく行ってたが
自分は近すぎて中々足が動かず
だが当時このためにビクターのビデオカメラを買ったので
花博を撮影する為にようやく9月に入ってから行ってビデオ撮影した
1990年当時のビデオカメラは
白黒の小さなファインダーを覗きながら撮る
大きくて重いビデオカメラだった
それに大きなバッテリーだったが1時間しか持たないし
自分のはS-VHS方式でそれでも10万円以上と高価だった
まあそれでもだいぶ買いやすい値段に落ちてきたので買えた
ようやく一般にビデオカメラが普及し始めた頃だった
それでなんとか当時の様子を映像に残す事が出来た
キャンディキャッスル館内での当時は凄いと思った歌うリアルな人形、
白い天使の人形は呼吸で胸が動いていたのは驚いた
事故があったウォーターライドだったが
バブル時代の大阪万博 EXPO’90花博でいきなり事故を起こした世界博覧会史上初の動く水上パビリオン、ウォーターライドだが銀河鉄道999のメーテルが夢案内人だった?
これに乗ればインストラクターの園内案内があり園内が1番わかりやすい
こちらは反対周り
開催2日めの事故の映像も
一般客のビデオカメラ映像というのもこの時代らしい
いのちの海の水面が割れる
会場内の乗り物は「陸」「水」「空」から
さまざまな角度で見渡せる
SL義経(ドリームエキスプレス)
閉会後は梅小路蒸気機関車館に移設された
ロープウェイ(フラワーキャビン)
CTM(パノラマライナー)
街のエリアに設けられたマジカルクロス、遊園地ゾーン
絶叫マシンの最盛期、当時は画期的だった
立って乗るジェットコースターの風神雷神
2階建てのメリーゴーランド
これらの遊具は花の博覧会の閉会後、
メリーゴーランドは枚方パークなど
各地の現役遊園地に移設された
最後の日は花ずきんちゃんで型どった花が最後だからと
抜いて持って帰る人が多くせっかくの花ずきんちゃんが
原型をとどめぬほどになったようで後で問題になってた
企業のパビリオンや遊園地は閉幕後に撤去されたが
世界の庭園はそのまま残され無料で楽しめるようになっていた
が年々予算がないのか20年以上経って老朽化も著しく
今後の予算のあても無く廃墟のようになっているらしい
また2025年に大阪万博が予定されているようだが
今後は万博が終わった後の事も考えて企画しなければいけないだろう
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