兵庫県の宝塚と言えば有名な物は宝塚歌劇団で
阪急電鉄の生みの親、小林十三翁が
宝塚温泉の観光シンボルとして大正2年に宝塚唱歌隊を創設し

その後数回名前を変え昭和15年に宝塚歌劇団となった

古くは奈良時代に発見された宝塚温泉でかつては小林ノ湯、
塩尾ノ湯、川面ノ湯と呼ばれ明治18年に
武庫川右岸で貧血症などに効く炭酸泉が発見されて
小さな湯治湯が宝塚温泉と呼ばれるようになった
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大正時代に箕面電鉄、後の阪急電鉄が路線を伸ばした事がきっかけで

(昭和30年代の宝塚温泉街)
大温泉になり和風旅館や近代的なホテルが並ぶ宝塚温泉街が
武庫川沿いに並んだ

(昭和30年代の宝塚温泉街)
宝塚の出発は明治44年、1911年に湯の町宝塚に
阪急電車が旅客誘致の為に作った宝塚温泉だった
昭和40年代生まれ男にとっては宝塚と言えば
今は無き 宝塚ファミリーランド 遊園地だ
1977年頃、小学校高学年頃に同級生が宝塚ファミリーランドの
無料チケットを持っていたので4人くらいで遊びに行った
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(1970年代の宝塚ファミリーランド)
大阪の梅田駅から阪急電車で40分弱
1977年の小学生の頃に初めて阪急電車の宝塚駅を降りた時は

今でも覚えている花のみちと言われた道の真ん中の高くなった通路

春には桜のトンネルとなるので花の道というらしい
その下側の両側に昔ながらのお土産屋がたくさん並んでいた

いかにも昭和40年代の田舎の観光地という情緒があって
遠い行楽地にやってきたという気分になった
宝塚ファミリーランド内に無料の大温泉があって
友人ら皆で入ったという事もあって
その後にアルバイトでよく訪れた80年代半ばも変わらぬ
その風景はとても昭和な風情があって好きだった
1984年頃梅田の桜橋の産経新聞でサンケイスポーツ新聞を
駅の売店に運ぶアルバイトをやって来た時
毎日のように夕方、梅田から阪急電車に乗って阪急宝塚線で
新聞の束を配達をしていた、
宝塚駅が終点で遠いので他のバイトの皆は行きたがらないが
自分は田舎の見知らぬ土地に行くのが好きだったので
好んで行ってた
確かに遠いが本来は3~4件の駅の配達があるがそこは逆に
その一件だけだったのでほとんど電車に乗ってるだけだから
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但、帰るのが遅くなるので次の便までの空きの時間
休憩時間は短くなるが
十三駅から急行で石橋駅、そこからは宝塚駅まで
各駅停車になるので確かに時間はかかる
金村義明氏の話に良くでくる雲雀丘花屋敷や清荒神、
中山寺などの駅もその時に覚えた😄
段々田舎に向かって静かになるので旅行に行った気分になり
わくわくしていた

阪急宝塚駅を降りて
国道176号線を渡ってJR宝塚駅裏の静かな何も無い坂の通り、
ここに気になった狭い通りにある喫茶店があり1度どうしても
入ってこののどかな町の喫茶店で時間を過ごしてみたくなり
アルバイトで無いのにわざわざ阪急電車に乗って宝塚駅に来て
この喫茶店に入りお茶を飲んで静かな時間を過ごした

1984年でも阪急宝塚駅前に並ぶ

昭和な昔ながらの観光地のお土産屋
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その先のはなのみちの下の両側に並ぶ昔ながらのお土産屋は
昭和40年代の面影を残し温泉街特有の気分も味わえるし

たくさん並ぶ店舗もお洒落で活気があった

(80年代の花のみちプラザ)




(1985年頃の花のみちプラザ)

(80年代の宝塚サンビオラ)
そして華やかな宝塚歌劇や宝塚ファミリーランドの裏側の
静かな武庫川から見る当時でも昭和レトロな宝塚温泉街

初めて来た時はこの川の流れのせせらぎの音を聞きながら

1980年代でも古いレトロな旅館街を見ていると

子供の頃の1970年代に連れて来てもらった田舎の観光地に
旅行に来た気分になってしばらく眺めていた

阪急今津線でも帰れるのでたまに逆瀬川駅から西宮北経由でも
梅田に帰っていた
だがそんなのどかで静かだった昭和レトロな宝塚温泉街も

花のみちのお土産屋も

店舗も

あの1995年に兵庫県を襲った阪神・淡路大震災で激しく潰れ
街はすっかり新しく変わってしまって
あの昭和な雰囲気が無くなった![]()





















