鈴鹿サーキットで行われる鈴鹿 サウンドオブエンジン2017の
見学で雨の中鈴鹿サーキットへ
1970年代、80年代のF1マシンと旧車を見に13年振りに鈴鹿サーキットへ SUZUKA Sound of ENGINE 2017
1976年10月に富士スピードウェイで行われたF1最終戦の
F1世界選手権イン・ジャパンいわゆるF1日本GPで雨の中
前年の1975年のチャンピオンのニキラウダを逆転し
チャンピオンとなったイギリス人のジェームズ・ハントが
1978年に乗ってたマクラーレンM26

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テレビでは赤白に見えるが実際は眩しいオレンジと白だ
残念ながらハントがチャンピオンになったマクラーレンM23
で無く失敗作と言われたマクラーレンM26だが
初めて聞くF1サウンドは物凄い迫力だ
エアスターターでのエンジン始動、フォードV8
初めて聞くF1サウンドはしびれる

1976年にF1が初めて日本にやってきた時に流行った
黒と銀のジョン・プレイヤー・スペシャルタバコのカラー
JPSロータス76とロータス92

このJPSカラーの帽子は1970年代当時流行ったし自分も被ってた
そして画期的なF1マシン、
名門F1ロータスの創始者コーリンチャップマンが開発した
グラウンド・エフェクト・カー ボディ全体がウィングになったので
前後のスポイラーが小さくなりとてもかっこよかった
F1の名門と言われたロータスチーム
JPSタバコのカラーリングはかっこいい
帽子やグッズも当時は流行った
1977年にデビューしたロータス78
マリオ・アンドレッティの駆る翌年さらに成熟されたロータス79が
圧倒的な強さでチャンピオンカーになったので
他のチームもコピーしウィングカーが主流になるも
コーナーリングスピードの増加や空力事故が相次ぎ禁止になったり
こちらもルノーエンジンやホンダエンジンで無く
オーソドックスなフォードV8エンジン
そのあとはスタンドで観戦
去年来た知人によると雨のせいか走るレースカーが
今年は少ないらしい

ピットウォークは別料金になるが間近にレース車両が見れる
昼からようやく雨が上がった
懐かしのF1デモンストレーションレースは、
1台のコース上のトラブルでフォーメーションラップで中止で残念
そしてターボが登場した1980年代
実践を禁止された幻のマシン、ツインシャーシーのロータス88
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アクア・リアージュ
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サイドスカートを禁止されたウィングカーの対策案として
ボディがスプリングで支えられていて走行すると風圧で車高が下がり
同じ効果を持つというものだったがレギュレーション違反となり
1度も実践に使われる事なく禁止になった
ゴードン・マレーデザインのウィングカー時代の
ブラバムBT49Cフォードのエンジンスタート
1981年にネルソン・ピケをチャンピオンにしたマシンだ
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元のベースのブラバムBT48では大パワーの
アルファロメオV型12気筒を積んで予選では速かったが
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実践レースではエンジントラブルが多く完走すら出来なかったので
信頼性のあるフォードV8エンジンに積み替えた途端に
チャンピオン争いに加わりウィリアムズのカルロス・ロイテマンを
ネルソン・ピケが最終戦で破りチャンピオンカーになった

これは自動車高調整装置でこれも走り出すと車高が下がるが
これはなぜかレギュレーション違反とはならず実践で使われた
ゴードン・マーレーと組んで速さというより頭を使った
効率のいい作戦で勝つのがブラジル人のネルソン・ピケだった
後年にミハエル・シューマッハがロス・ブラウンを
ブレーンとして勝ったのと同じ感じだ
もちろん速さもあり、新人時代はチームメイトだった
あの伝説のチャンピオン、不死鳥ニキ・ラウダを予選で破り続け
やる気を無くした(まあマシン不調もあって)
ニキ・ラウダを引退に追い込んだ
そして後年ネルソン・ピケも老いた頃に若いミハエル・シューマッハに
同じ事をやられ引退に追い込まれた
ウィリアムズFW08フォードDFV

1982年のターボカーとノンターボカーが入り混じる荒れたシーズンを
わずか1勝ながらケケ・ロズベルグをチャンピオンにしたマシンだ
この年は予選で速さを見せつけた大パワーのターボーカーは
レースになるとレース半ばでいつも壊れ
結局、優勝は信頼性の高く完走できる自然吸気エンジンの
V8フォードDFVに奪われる事が多く
結局シーズンを通して安定した速さと信頼性を持った
ウィリアムズFW08フォードがチャンピオンカーに
ウィングカーが禁止された後のフラットボトム化された
ティレル012 フォードV8
ベネトンカラーで故ミケーレ・アルボレートが
非力なフォードV8エンジンながら優勝もし活躍した
元F1ドライバー、ブラジル人のロベルト・モレノ選手のトークショー

速さのあるドライバーだったが運の無さや性格などもあって
マイナーチームを渡り歩いた地味なドライバーだったが
1990年のF1日本グランプリのここ鈴鹿サーキットで
ヘリコプターの事故で左腕を切断したベネトンチームのドライバー
アレッサンドロ・ナニーニの代役として急遽出場したレースでの
エースドライバーのネルソン・ピケとの1、2フィニッシュした時の
涙の表彰台したシーンは印象深いしその当時はF1の日本人気が
最盛期だったから覚えている日本人も多いと思う
その日本グランプリでの思い出話をしていた
午後からのロベルト・モレノのトークショーは片山右京選手も加わって

ロベルト・モレノ選手が今回はネルソン・ピケとケケ・ロズベルグが
チャンピオンを争っていた時代のウィリアムズFW08や
ブラバムBT49Cなどあの頃夢だったマシンに乗ることが出来て
とても良い日だったと語ったので
司会者が片山右京選手にももう1度乗りたいマシンはありますか?
と聞いたところ、最終的にはやはり最初に乗ったF1マシン、
ヴェンチェリー・ラルースのランボルギーニV12に乗りたいらしく
それを別の場所で言ったらそのマシンを持ってる方が
では次はそれを実現しましょうと言ってもらったようなので
近いうちに実現する日が来るかもしれない
サイン会の後はファンとのサインや記念撮影に応じていた片山右京選手

今でも若い(´∀`)





















